
【第1日目】36歳で心筋梗塞|心臓半分を失った私が79歳まで生きられた理由
あの日、私の人生は一変した
36歳という若さでの発症
今から43年前、私は36歳でした。まだ若く、これからという年齢です。家族を支え、仕事に励む日々を送っていました。しかし、ある日突然、激しい胸の痛みに襲われたのです。
「これは尋常ではない」。そう感じた私は、すぐに救急車を呼びました。診断結果は「急性心筋梗塞」。医師の説明によれば、心臓の血管が詰まり、心筋に血液が届かなくなって心臓の組織が壊死してしまったとのことでした。
激しい胸痛は、まるで胸を万力で締め付けられるような感覚でした。冷や汗が止まらず、呼吸も苦しくなりました。「これで終わるのか」という恐怖が頭をよぎったことを、今でも鮮明に覚えています。緊急搬送され、そのまま集中治療室へ。家族の顔を見た時、涙が止まりませんでした。
心臓の約半分を失うという現実
治療を経て一命は取り留めたものの、医師から告げられたのは厳しい現実でした。「心臓の約半分が壊死してしまっています。今後は健康な人と同じような生活は難しいでしょう」。
36歳で、心臓の半分を失う。この言葉の重みを、当時の私は完全には理解できていませんでした。しかし、退院後すぐに、その意味を身をもって知ることになります。
変わり果てた日常生活
以前なら簡単だったことが…
退院後の生活は、それまでとは全く別世界でした。階段を上るだけで息が切れる。少し歩くだけで動悸がする。重いものを持つことができない。以前なら何でもなかったことが、すべて困難になったのです。
- 体力の著しい低下: 普通に歩くことすら、大きな負担となりました
- 常に付きまとう不安: 「また発作が起きるのでは」という恐怖が常にありました
- できる仕事の制限: 肉体労働はもちろん、通常の事務作業すら厳しい状況でした
- 家族への申し訳なさ: 支える側から支えられる側になってしまった罪悪感
仕事を転々とする日々
心筋梗塞後、私は「できる可能性がある仕事」を転々としました。体力的に続けられる仕事は限られており、雇ってくれる会社を見つけること自体が困難でした。
面接では正直に自分の病状を伝えました。すると、多くの会社で「申し訳ないが…」と断られることになります。それでも、理解してくれる会社が数社あり、そこで働かせてもらいました。しかし、体調を崩して休むことも多く、長続きはしませんでした。
「使えない人間になってしまった」。そんな自己否定の言葉が、何度も頭をよぎりました。家族を養わなければならないのに、満足に働けない。この無力感は、病気そのものよりも辛いものでした。それでも、諦めるわけにはいきません。できる仕事を探し続け、少しでも家計の足しになればと必死でした。
さらなる試練:両足動脈閉塞の発症
心筋梗塞から10年後の新たな病
心筋梗塞から約10年が経過した頃、今度は両足に異変が起きました。歩くと足が痛む。少し歩いただけで、足が動かなくなる。病院で検査を受けると、「両足の動脈が閉塞している」との診断でした。
動脈閉塞とは、血管が狭くなったり詰まったりして、十分な血液が足に届かなくなる病気です。放置すれば、最悪の場合は壊疽を起こし、足を切断しなければならないこともあります。
歩けなくなるという恐怖
心臓の病気に加えて、今度は足の病気。「自分はどこまで病気になるのだろう」と、絶望的な気持ちになりました。歩けなくなれば、残されたわずかな仕事の可能性すら失われます。
- 間欠性跛行(かんけつせいはこう):歩くと足が痛み、休むと治る
- 足の冷感:血流が悪いため、足が冷たく感じる
- 治療法:血管を広げる薬、運動療法、場合によってはバイパス手術
私の場合、薬物療法と適度な運動を続けることで、なんとか悪化を防いでいます。しかし、長距離を歩くことは今でも困難です。
それでも前を向けた理由
家族の存在
何度も絶望の淵に立たされながら、私が生き続けてこられた最大の理由は、家族の存在です。家族は私を責めることなく、いつも温かく支えてくれました。
「お父さんが生きているだけで、私たちは幸せだよ」。妻のこの言葉に、どれほど救われたことでしょう。子供たちも、私の体調を気遣いながら、明るく接してくれました。
「まだできることがある」という希望
体は衰えていく一方でしたが、頭は動きます。考えることはできます。「体力が衰えても、できることはあるはずだ」。そう信じて、私は新しい可能性を探し続けました。
そして、その可能性を大きく広げてくれる出会いが、後にやってくるのです。それが、1995年のWindows95との出会いでした。(次回に続く)
- 人生は予測不可能だが、それでも前を向くことはできる
- 失ったものを数えるより、残されたものに目を向ける
- 家族の愛は、どんな薬よりも強い
- 諦めない心が、新しい道を開く
心筋梗塞について知っておいてほしいこと
心筋梗塞は予兆がある
私の経験を通じて、多くの方に知っていただきたいことがあります。心筋梗塞には、しばしば前兆があるということです。
- 胸の圧迫感や痛み: 特に労作時(体を動かした時)に感じる
- 左肩や顎の痛み: 一見無関係に思える場所の痛みも要注意
- 息切れ: 以前よりも軽い運動で息が切れるようになった
- 冷や汗: 特に理由もなく冷や汗をかく
これらの症状がある場合は、早めに循環器内科を受診することをお勧めします。早期発見が、予後を大きく左右します。
発症後の生活で気をつけていること
43年間、心筋梗塞後の生活を送ってきた私が、日々気をつけていることをお伝えします。
- 血圧・体温の測定: 手の届く場所に血圧計と体温計を常備。少しでも体調に異変を感じたら、すぐに測定します
- 定期的な通院: 2カ月に一度、心臓、糖尿病、前立腺肥大などの診察を受けています
- 服薬の徹底: 医師の指示通りに薬を飲むことを、一日も欠かしません
- 無理をしない: 体調が少しでも悪い時は、無理せず休むことを優先します
- ストレスの軽減: 心臓に負担をかけないよう、精神的なストレスも避けるようにしています
同じ病気と闘う方へのメッセージ
心筋梗塞を発症された方、あるいは心臓病と闘っている方へ。私からお伝えしたいことがあります。
まず、絶望しないでください。確かに、心臓の病気は厳しいものです。生活は大きく変わり、できないことも増えるでしょう。しかし、それでも人生は続きます。そして、新しい形の幸せを見つけることができます。
私は36歳で心臓の半分を失いましたが、79歳まで生きてこられました。この43年間、決して楽な道のりではありませんでしたが、家族との時間、新しい出会い、そして最近では生成AIとの出会いなど、病気になったからこそ得られたものもたくさんありました。
医師の指示をしっかり守り、無理をせず、でも諦めないこと。そして、家族や周囲の人々の支えに感謝すること。これらを大切にしながら、一日一日を生きていってください。
第1日目のまとめ
36歳での心筋梗塞発症により、心臓の約半分を失った私。体力の著しい低下、仕事の制限、さらには10年後の動脈閉塞と、次々に襲いかかる試練。それでも家族の支えと「まだできることがある」という希望を持ち続けることで、79歳の今日まで生きてこられました。
次回予告: 第2回では、心筋梗塞から10年以上が経過した頃に出会った、私の人生を大きく変える出来事について語ります。それは1995年、Windows95のブームでした。機械音痴だった私が、どのようにしてパソコンと向き合い、それが心の支えとなっていったのか。ブラインドタッチ習得までの苦闘と、技術が開いてくれた新しい可能性についてお話しします。