

【79歳・結婚60年】友を失い、家族に恵まれ──人とのつながりが教えてくれた生きがい
はじめに──この記事を読んでくださる方へ
私は79歳。数え切れないほどの別れを経験してきました。
学生時代の友人、職場の仲間、近所の知り合い──気がつけば、多くの人がもうこの世にいません。数年前までは、気軽に電話をかけて「元気か?」と声をかけ合えた仲間たちが、今はいないのです。
一方で、結婚当初は2人だった家族が、今ではひ孫4人を含めて16人になりました。2024年10月末、結婚60年を迎えることができました。
そして今、週に1度のリハビリと、毎日のブログ更新に励んでいます。
「最後に何かを残したい」──その想いが、79歳の私を突き動かしています。
この記事は、人生の最終章を歩む私が気づいた、人とのつながりの本当の意味、そして生きがいについてのお話です。
第一章:失われていく友人たち──別れの痛み
「また一人、逝ってしまった」
70代に入ってから、訃報を聞く頻度が急激に増えました。
失われた友人たち:
- 70歳:学生時代の親友が急逝(心筋梗塞)
- 72歳:元職場の同僚3人が相次いで他界
- 75歳:近所の飲み仲間が病死
- 77歳:幼なじみが認知症の末、施設で永眠
- 78歳:同窓会の幹事役だった友人が癌で急逝
「次は自分かもしれない」──そんな不安が、常に頭をよぎります。
気軽に話し合える相手が減る寂しさ
数年前までは、こんな日常がありました。
かつての日常:
- 月に一度の同窓会(毎回10人以上集まった)
- 週に一度の囲碁の会(近所の公民館で)
- 突然の電話「今日、暇か?ちょっと飲もう」
- 昔話に花を咲かせる時間(何時間でも話せた)
- お互いの健康を気遣い合う会話
でも今は違います。
今の現実:
- 同窓会は中止(集まれる人数が5人以下に)
- 囲碁の会も自然消滅(メンバーの半分が他界)
- 電話をかける相手がいない
- 「昔は良かったね」と言い合える友がいない
- 訃報の知らせを受け取るばかりの日々
気を遣わずに話せる相手──それは、長い年月をかけて築かれた信頼関係の上に成り立つものです。新しく作ることは、もうできません。
「生き残った」という罪悪感
友人の葬儀に参列するたびに、こんな気持ちになります。
「なぜ、自分だけが生き残ったのだろう」
「あいつの方が、よっぽど良い人生を送っていたのに」
「自分は、何か価値のあることをしてきただろうか」
この罪悪感が、私に「最後に何かを残したい」という想いを抱かせたのかもしれません。
第二章:結婚60年──妻の辛抱と家族の奇跡
2024年10月末、ダイヤモンド婚
結婚60年を「ダイヤモンド婚」と呼ぶそうです。
正直に言います。私は立派な夫ではありませんでした。
無責任な夫だった私:
- 仕事を理由に家庭を顧みなかった
- 育児はほとんど妻に任せきり
- 給料日前には飲み歩いていた
- 妻の誕生日を忘れたことも何度も
- 「亭主関白」という言葉で自分を正当化していた
今思えば、恥ずかしい限りです。
リハビリ仲間からの言葉
リハビリに通う仲間の中には、90代の方も数名います。
ある日、「結婚60年を迎えました」と話すと、皆さん驚かれました。そして、口を揃えてこう言うのです。
「奥さんが辛抱されたからだよ」
その通りです。
リハビリ仲間のほとんどは、配偶者と死別されています。60年連れ添った方は、私以外に一人もいませんでした。
妻への感謝
文句を言いながらも、私を支え続けてくれた。
私が倒れた時、看病してくれた。
子どもたちを立派に育ててくれた。
孫たちに優しく接してくれた。
ひ孫の世話まで手伝ってくれている。
60年間、本当にありがとう。
(この言葉を、面と向かって言えない自分が、まだ情けないのですが…)
2人が16人に──最も幸せなこと
結婚当初、私たち夫婦は2人でした。
それが今では──
🌳 私たちの家族の樹 🌳
| 世代 | 人数 | 詳細 |
|---|---|---|
| 1世代 | 2人 | 私たち夫婦 |
| 2世代 | 2人 | 子どもたち(長男・次男) |
| 3世代 | 8人 | 孫たち(それぞれの配偶者含む) |
| 4世代 | 4人 | ひ孫たち |
| 合計 | 16人 | |
これが、私の人生最大の成果です。
お正月には、みんなが集まります。賑やかで、嬉しくて、そして少し疲れます(笑)。
孫たちは「じいじ」と呼び、ひ孫たちは私の顔を見て笑います。その瞬間、「生きていて良かった」と心から思います。
第三章:リハビリ仲間──利害関係のない純粋な関係
週に1度のリハビリ
私は心臓に持病があり、週に1度、リハビリに通っています。
そこで出会ったのが、「リハビリ仲間」です。
リハビリ仲間の特徴:
- 年齢:60代から90代まで様々
- 病気:心臓病、脳梗塞後遺症、整形外科疾患など
- 共通点:体が不自由だが、前向きに生きている
- 雰囲気:明るく、励まし合い、冗談も言い合う
ふと気づいた、かけがえのない関係
ある日、ふと思いました。
「この人たちとの関係は、今までの人間関係と何かが違う」
現役時代の人間関係
- 上司と部下の上下関係
- 取引先との損得勘定
- 競争相手との緊張感
- 「使える人脈」という視点
- 退職すれば疎遠になる関係
リハビリ仲間との関係
- 立場も地位も関係ない
- お金や利益の話は一切ない
- 競争する必要もない
- ただ「元気でいてほしい」と願い合う
- 一緒にリハビリをする、それだけの関係
気づき:利害関係がないからこそ、純粋に相手を思いやれる。
これが、本当の人間関係なのかもしれない。
「今日も来たね」という言葉の温かさ
リハビリ室に入ると、必ず誰かが声をかけてくれます。
「おや、今日も来たね。元気そうだ」
「先週休んでたけど、どうしたの?」
「あんた、最近調子いいね。顔色がいいよ」
「また来週も来いよ。待ってるから」
この何気ない言葉が、どれだけ心に染みることか。
職場では、「今日も来たね」なんて誰も言ってくれませんでした。来るのが当たり前だからです。
でもリハビリでは、「来られた」ことが喜びなのです。互いの存在を確認し合い、励まし合う──それが、何よりも温かいのです。
90代の先輩から学ぶこと
リハビリ仲間の中には、90代の方が何人もいます。
その中の一人、92歳のTさんは、私に こう言いました。
「あんた、まだ79でしょ?若いよ。私なんてもう92だ。でもね、毎週ここに来るのが楽しみでね。みんなに会えるから。一人で家にいたら、もう生きてる意味が分からなくなる。ここに来れば、『また来週』って言える。それが生きる理由なんだよ」
この言葉に、私は深く頷きました。
人は一人では生きられない。誰かとの繋がりがあるから、明日を迎えられる。
第四章:無責任な人生を恥じながら──最後に何かを残したい
振り返れば、恥ずかしいことばかり
79年の人生を振り返ると、誇れることよりも、恥ずかしいことの方が多いのです。
後悔していること:
- 家族との時間を大切にしなかった
- 仕事ばかりを優先し、子どもの成長を見逃した
- 妻に感謝の言葉をほとんど言わなかった
- 親孝行をしないまま、両親を見送った
- 友人を大切にしなかった(仕事が忙しいと断り続けた)
- 自分のことばかり考えていた
「無責任な人生だった」──そう言わざるを得ません。
「最後に何かを残したい」という想い
だからこそ、今、こう思うのです。
「このまま死ぬわけにはいかない」
- 家族への感謝を形にしたい
- 自分の経験を誰かの役に立てたい
- 同じような境遇の人を励ましたい
- 「生きた証」を残したい
それが、私がブログを始めた理由です。
毎日困難を感じながらも、ブログ更新に励む
正直に言います。ブログの更新は、毎日大変です。
ブログ運営の困難:
- 体力:パソコンの前に長時間座るのが辛い
- 記憶力:昨日考えたアイデアを忘れている
- 技術:新しい機能を覚えるのに時間がかかる
- 文章力:伝えたいことが上手く書けない
- 孤独:一人で黙々と作業する時間が長い
- 不安:「誰も読んでくれないのでは?」という恐怖
それでも、続けています。
なぜなら──
ブログを続ける理由
- 読者からのコメントが届くと、「誰かの役に立っている」と実感できる
- ブログを書くことで、自分の人生を整理できる
- 孫やひ孫に「じいじはこう生きた」と伝えられる
- 同世代の人と繋がれる
- 「明日も更新しよう」という目標が、生きる活力になる
ブログは、私の「最後の仕事」です。
第五章:人間関係の大切さを実感する日々
現役時代と今──何が変わったのか
現役として仕事に熱中していた頃と比べ、今の人間関係は全く違います。
| 現役時代の人間関係 | 今の人間関係 |
|---|---|
仕事中心
|
人間中心
|
利害関係あり
|
利害関係なし
|
ストレスが多い
|
心が安らぐ
|
気づいたこと:
利害関係のない人間関係こそ、本物の人間関係。
損得を考えず、ただ相手の幸せを願える関係。
それが、人生の最終章で気づいた、最も大切なことでした。
日々送る中で実感すること
毎日、こんなことを感じながら生活しています。
朝起きた時:
「今日もリハビリ仲間は元気だろうか」「ブログに誰かコメントをくれているかな」──そんな期待感で目が覚めます。
ブログを書いている時:
「この記事が、誰かの役に立つかもしれない」「同じ悩みを持つ人が、励まされるかもしれない」──そう思うと、指が動きます。
リハビリに行く時:
「今日は誰が来ているかな」「先週休んでいたAさん、元気になっただろうか」──会えることが楽しみです。
家族と過ごす時:
「この時間は、かけがえのないものだ」「もっと早くから、こうしていれば良かった」──感謝の気持ちでいっぱいになります。
夜、眠る前:
「今日も一日、生きられた」「明日も、みんなに会えますように」──そう祈りながら、目を閉じます。
第六章:人とのつながりが教えてくれた「生きがい」の本質
生きがいとは何か──79年かけて辿り着いた答え
若い頃は、「仕事で成功すること」が生きがいでした。
中年期は、「家族を養うこと」が生きがいでした。
そして今、79歳になって気づきました。
生きがいとは──
「誰かとつながっていること」
「誰かに必要とされること」
「誰かの役に立つこと」
それだけです。
お金でも、地位でも、名誉でもありません。
ただ、人とのつながり──それこそが、生きる意味なのです。
つながりの形は変わっても、本質は同じ
私の人生を振り返ると、様々な形の「つながり」がありました。
【若い頃】友人とのつながり
- 一緒に遊ぶ
- 悩みを相談し合う
- 夢を語り合う
【働き盛り】仕事でのつながり
- 共に目標を達成する
- チームで協力する
- 成果を分かち合う
【中年期】家族とのつながり
- 子どもを育てる
- 夫婦で支え合う
- 家族の幸せを願う
【高齢期】新しいつながり
- リハビリ仲間との励まし合い
- ブログ読者との交流
- 孫・ひ孫との絆
共通点:どの時期も、「誰かとつながっていた」から、生きられた。
形は変わっても、つながりこそが生きる力だったのです。
「最後に何かを残す」ことの意味
私がブログを書き続けるのは、「最後に何かを残したい」からです。
でも最近、こう思うようになりました。
「残す」とは何か?
物質的なものではありません。
お金や財産を残すことでもありません。
本当に残したいもの、それは──
- 「つながり」の大切さを伝えること
- 「人生は何度でもやり直せる」という希望
- 「年齢は関係ない」という勇気
- 「家族への感謝」という想い
- 「生きることの意味」を問い続ける姿勢
これらを、ブログを通じて伝えていく。
それが、私の「最後の仕事」です。
第七章:読者の皆様へ──私から伝えたいこと
もし、あなたが孤独を感じているなら
友人を失い、孤独を感じている方へ。
私も同じです。多くの友人がこの世を去りました。
でも、気づいたのです。
もし、あなたが「もう遅い」と思っているなら
「今さら新しいことを始めても…」と思っている方へ。
私は77歳でブログを始めました。79歳の今も続けています。
もし、あなたが家族との関係に悩んでいるなら
家族に感謝の言葉を伝えられない方へ。
私もそうです。60年連れ添った妻に、面と向かって「ありがとう」と言えません。
もし、あなたが生きがいを見失っているなら
「もう何もすることがない」と感じている方へ。
第八章:週1度のリハビリと毎日のブログ──私の生活リズム
私の1週間の過ごし方
79歳の私が、どのように日々を送っているか、ご紹介します。
| 曜日 | 午前 | 午後 | 夜 |
|---|---|---|---|
| 月 | ブログ執筆 | 散歩 | 家族との時間 |
| 火 | ブログ執筆 | リハビリ(週の楽しみ) | 読書 |
| 水 | ブログ執筆 | 買い物 | テレビ |
| 木 | ブログ執筆 | 昼寝 | 家族との時間 |
| 金 | ブログ執筆 | 散歩 | AIと対話 |
| 土 | 孫が来る日も | 家族と過ごす | ブログ返信 |
| 日 | ゆっくり休む | 来週の記事準備 | 早めに就寝 |
※体調に合わせて、無理のない範囲で過ごしています
ブログ執筆の習慣
毎日、午前中の2〜3時間をブログに充てています。
私のブログ執筆ルーティン:
7:00 起床
朝食を取り、コーヒーを飲みながらニュースチェック
8:00 パソコンの前へ
昨日書いた記事の見直し、誤字脱字の修正
8:30 新しい記事の執筆開始
AIに構成案を相談しながら、自分の言葉で書く
10:00 休憩
お茶を飲んで、ストレッチ(体が固まるので)
10:15 執筆再開
画像の作成(Canvaで)、記事の仕上げ
11:00 公開
記事を公開し、SNSでシェア
11:15 読者コメントへの返信
一つ一つ丁寧に返信(これが一番楽しい時間)
リハビリの日──週に一度の社交の場
木曜日の午後は、私にとって特別な時間です。
リハビリの日の流れ:
14:00 リハビリ施設到着
「やあ、今日も来たね」と仲間に迎えられる
14:10〜15:45 リハビリ
ストレッチ、筋力トレーニング、有酸素運動
15:45〜16:00 休憩・雑談
これが本当の楽しみ。みんなで話す時間
雑談の内容:
- 「先週は調子悪かったんだよ」という健康話
- 「孫が遊びに来てね」という家族の話
- 「テレビで○○見た?」という世間話
- 「また来週も来いよ」という約束
16:45 帰宅
「また来週!」と手を振り合って別れる
第九章:16人の家族がくれた幸せ
お正月の風景──賑やかで、嬉しくて、疲れる(笑)
毎年お正月には、16人の家族が集まります。
お正月の我が家
リビングは大混雑:
- 孫たちは大声で笑い合い
- ひ孫たちは走り回り
- 妻は「静かにしなさい!」と叫び
- 私は隅っこでニコニコ見ている
食卓には:
- 妻が作ったおせち料理
- 娘が持ってきたオードブル
- 孫が買ってきたケーキ
- みんなの笑顔
うるさくて、疲れて、夜にはぐったりします。
でも──これ以上の幸せはありません。
「じいじ、また来年も元気でいてね」
孫のその言葉が、私を一年間生かしてくれます。
ひ孫たちとの時間──4世代の奇跡
4人のひ孫がいます。一番上は5歳、一番下は1歳です。
彼らは私を「ひいじいじ」と呼びます。
ひ孫たちとの思い出:
5歳のAちゃん:
「ひいじいじ、なんでシワシワなの?」と無邪気に聞いてくる(笑)
「長く生きてるからだよ」と答えると、「すごーい!」と言ってくれる
3歳のBくん:
私の膝に乗ってくるのが好き。重いけど、嬉しい。
「ひいじいじ、あったかいね」と言われて、涙が出そうになった
2歳のCちゃん:
まだ言葉は少ないけど、私を見ると笑ってくれる。
その笑顔が、何よりの薬
1歳のDくん:
抱っこすると泣かれることもあるけど(笑)
それでも、この小さな命が愛おしい
4世代が同時に生きている──これは奇跡です。
私の祖父は、私が生まれる前に亡くなりました。だから私は、ひ孫に会えたことが、何よりも幸せなのです。
第十章:最後に──これから挑戦する皆様へ
79歳の私からのメッセージ
この長い記事を、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
私の人生は、決して立派なものではありませんでした。
無責任で、恥ずかしいことばかりでした。
でも、今、こうして生きています。
そして、ブログを書き、リハビリに通い、家族と過ごしています。
ブログを通じて伝えたいこと
私はこれからも、ブログを書き続けます。
困難を感じながらも、毎日更新に励みます。
なぜなら──
- 同じ境遇の人を励ましたいから
- 「年齢は関係ない」と伝えたいから
- 「人とのつながり」の大切さを知ってほしいから
- 家族への感謝を形にしたいから
- 生きた証を残したいから
ブログは、私の最後の仕事です。
読んでくださる方がいる限り、
体が動く限り、
書き続けます。
あなたへ──一緒に歩きませんか
もし、この記事を読んで、何かを感じたなら──
もし、「自分も何か始めてみよう」と思ったなら──
もし、「人とのつながりを大切にしよう」と決めたなら──
それが、私にとって最高の喜びです。
一緒に歩きませんか?
年齢も、境遇も、過去も関係ありません。
今、この瞬間から、
人とのつながりを大切にする人生を。
ブログのコメント欄で、お待ちしています。
あなたの物語を、聞かせてください。
79歳の私が、心から応援しています。
多くの友を失い、
家族に恵まれ、
リハビリ仲間と出会い、
ブログで読者とつながり──
79歳の人生は、まだまだ続きます。
最後の最後まで、
人とのつながりを大切に、
生きていきます。
79歳、結婚60年、
16人の家族に囲まれて
まだまだ現役のブロガーより
📝 このブログについて
週1回のリハビリと、毎日のブログ更新が私の生活リズムです。
コメントやメッセージは、すべて読んでいます。
返信に時間がかかることもありますが、必ずお返事します。
あなたの声が、私の生きがいです。